群馬 栃木ポタリング&蕎麦
2013年07月17日
前橋赤城昼飯ポタ/前橋「手打そば 浅川」
パソコンが壊れていた時期の過去ログを少しずつUPしていきます。
以前世田谷の行きつけのお蕎麦屋さんでの蕎麦会でご主人にお会いして以来訪ねてみたかった前橋のお蕎麦屋さんへ
本日はカーサイクリング前橋市内からほど近い赤城山麓の道の駅「赤城の恵み」に車をデポし市街部へ
豊富な水量を誇る利根川水系の広瀬川
前橋市内で最も美しいと言われる河畔緑地沿いの道をポタリングしながら目的のお蕎麦やさんへ
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以前世田谷の行きつけのお蕎麦屋さんでの蕎麦会でご主人にお会いして以来訪ねてみたかった前橋のお蕎麦屋さんへ
本日はカーサイクリング前橋市内からほど近い赤城山麓の道の駅「赤城の恵み」に車をデポし市街部へ
豊富な水量を誇る利根川水系の広瀬川
前橋市内で最も美しいと言われる河畔緑地沿いの道をポタリングしながら目的のお蕎麦やさんへ
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aiz_rando_soba at 16:06|Permalink│Comments(2)
2006年11月18日
渡良瀬渓谷ラン(+名草釣堀の蕎麦)
2006年11月11?12日
渡良瀬渓谷クラブラン.....現在は足利に住む同級生TaS(2年前に約20年ぶりに再開)の企画で渡良瀬渓谷周辺1泊2日とあいなったが、、、
集合場所の足尾は、、、
怪しい雲行き、、、一瞬顔を見せた青空を信じ「行けるか?!」と輪行組も自転車を組んだが、組み終えたとたんポツポツと雨、、、しばらく様子をみるが、期待も虚しく本降りに、、、
こんなこともあろうかと乗ってきた自分の車にメンバーの自転車を詰め込み、宿泊地の桐生へ向かう。
結局この日は雨の切れ間に渡良瀬川の河川敷を少しポタっただけ、その分?アフターはTaSがこの日の為にと、よりすぐりのお店をSETしてくれ美味い料理や酒に多いに盛り上がり、就寝は夜中の2時をまわっていた。
さて翌日は、、、
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渡良瀬渓谷クラブラン.....現在は足利に住む同級生TaS(2年前に約20年ぶりに再開)の企画で渡良瀬渓谷周辺1泊2日とあいなったが、、、
集合場所の足尾は、、、
結局この日は雨の切れ間に渡良瀬川の河川敷を少しポタっただけ、その分?アフターはTaSがこの日の為にと、よりすぐりのお店をSETしてくれ美味い料理や酒に多いに盛り上がり、就寝は夜中の2時をまわっていた。
さて翌日は、、、
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at 23:25|Permalink│Comments(4)
2005年12月10日
渡良瀬渓谷ラン 後編
2005年12月3日(渡良瀬渓谷ラン 前編 の続き)
草木湖にて
この美しい湖も、上流から流出した鉱毒を沈殿させる役目もあるらしい。
(またちょっと重い話ですが、、、)
足尾銅山については,鉱毒の垂れ流しだけでなく法外な低賃金とほぼ収容所での強制労働という状態近い非人間的な待遇の飯場制に反対し待遇改善を要求した労働争議もよく知られている。明治の終わり起こったこの争議では数千の工夫がダイナマイトで本山の建物数箇所を破壊し,石油庫・火薬庫などを爆発させる暴動となった。
渡良瀬川の魚類の大量死から始まった鉱毒被害は,下流の数万ヘクタールの農地を汚染し,1896年9月の未曾有の大洪水によって,鉱毒被害は近隣の栃木,群馬から茨城,埼玉,さらに東京,千葉へと拡大した。
時の議員の田中正造は,農民の先頭に立って公害反対運動を進め、明治天皇に直訴を試みるが失敗。
銅山の経営者であった古賀市兵衛と姻戚関係にあった農商務大臣陸奥宗光は,わずかの補償と引き換えに一切の苦情を申し立てないという示談契約を成立させた。
陸奥の元秘書であった内務大臣原敬は,洪水対策のための遊水地化に反対する農民を警官隊により弾圧し,下流の谷中村を滅亡させた。
現在の綺麗な景色を見ているとそんな暗い歴史は想像しがたいし、足尾銅山は廃山になったが、前編にも書いたように現代も別の形で同じ様な過ちを繰り返す可能性を秘めている。
そんなことに疑問を持つ人が増えれば良いこともあるかと思い、あえてレジャーサイクリングの記事ながら、ちょっと重い話も紹介しました。
↓クリック 続きを読む
草木湖にて
この美しい湖も、上流から流出した鉱毒を沈殿させる役目もあるらしい。
(またちょっと重い話ですが、、、)
足尾銅山については,鉱毒の垂れ流しだけでなく法外な低賃金とほぼ収容所での強制労働という状態近い非人間的な待遇の飯場制に反対し待遇改善を要求した労働争議もよく知られている。明治の終わり起こったこの争議では数千の工夫がダイナマイトで本山の建物数箇所を破壊し,石油庫・火薬庫などを爆発させる暴動となった。
渡良瀬川の魚類の大量死から始まった鉱毒被害は,下流の数万ヘクタールの農地を汚染し,1896年9月の未曾有の大洪水によって,鉱毒被害は近隣の栃木,群馬から茨城,埼玉,さらに東京,千葉へと拡大した。
時の議員の田中正造は,農民の先頭に立って公害反対運動を進め、明治天皇に直訴を試みるが失敗。
銅山の経営者であった古賀市兵衛と姻戚関係にあった農商務大臣陸奥宗光は,わずかの補償と引き換えに一切の苦情を申し立てないという示談契約を成立させた。
陸奥の元秘書であった内務大臣原敬は,洪水対策のための遊水地化に反対する農民を警官隊により弾圧し,下流の谷中村を滅亡させた。
現在の綺麗な景色を見ているとそんな暗い歴史は想像しがたいし、足尾銅山は廃山になったが、前編にも書いたように現代も別の形で同じ様な過ちを繰り返す可能性を秘めている。
そんなことに疑問を持つ人が増えれば良いこともあるかと思い、あえてレジャーサイクリングの記事ながら、ちょっと重い話も紹介しました。
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at 10:18|Permalink│Comments(1)
2005年12月04日
渡良瀬渓谷ラン 前編
2005年12月3日
渡良瀬渓谷ラン
紅葉の真最中に出掛けようと思っていたのだが、先月企画した日が生憎の天気になってしまった為、そのリベンジとしてクラブの有志で出掛けることにした。
桐生ー(輪行)ー足尾ー草木ダムー水沼ー大間々ー桐生?足利ー名草
大間々付近.渡良瀬川左岸
渡良瀬渓谷鐵道.足尾駅
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渡良瀬渓谷ラン
紅葉の真最中に出掛けようと思っていたのだが、先月企画した日が生憎の天気になってしまった為、そのリベンジとしてクラブの有志で出掛けることにした。
桐生ー(輪行)ー足尾ー草木ダムー水沼ー大間々ー桐生?足利ー名草
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at 16:15|Permalink│Comments(8)